福岡地方裁判所 昭和63年(ワ)2875号 判決 1990年11月09日
原告
中野フジエ
右輔佐人
鳥巣勝代
被告
甲野太郎
同
乙野二郎
右両名訴訟代理人弁護士
半田萬
同
高木茂
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
被告らは原告に対し連帯して金七五〇万円及びこれに対する昭和六一年一二月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が、弁護士である被告らに金七五〇万円の貸金の回収を依頼したが、被告らの債務不履行によりその回収が不能になったとして、右貸金元本相当の損害金及び民法所定の遅延損害金の賠償を請求した事案であり、証拠等により認められる事案の経緯は、次のとおりである。
一被告らは、福岡県弁護士会に所属する弁護士である(争いのない事実)。
二原告は、斉藤正夫こと曹正夫(以下「正夫」という。)に対し、昭和五四年五月頃金六〇〇万円を、同年七月頃金二五〇万円をそれぞれ貸し渡した。
正夫は、原告に対し、金一〇〇万円を返済したものの、残金七五〇万円(以下「本件貸金債権」という。)を返済しなかった(争いのない事実)。
三原告は、昭和五五年四月二五日に福岡銀行の法律相談に赴き、担当弁護士である被告乙野に本件貸金債権の回収について相談し、同年五月六日、被告らの事務所で着手金四五万円、費用六万円を被告らに支払い、委任状を交付した(<証拠>)。
四被告らは、原告の訴訟代理人として昭和五五年五月七日正夫に前記貸金返還の訴え(福岡地方裁判所昭和五五年ワ第九四六号貸金請求事件)を提起し(<証拠>)、同年八月五日原告勝訴の判決が言い渡され(<証拠>)、右判決は同年九月二日、確定した(争いのない事実)。
原告のところへ、被告乙野から同年八月二七日付で、「判決正本のコピーを同封致します。」と記された手紙を添えて、右判決正本の写しが郵送されてきた(<証拠>)。
五正夫は、別紙物件目録記載一及び二の土地及び同目録記載三の建物(以下「本件建物」という。)を所有していた(以下、右土地建物を「本件不動産」という。)が、右訴えの訴状が送達された頃、同人の妻である斉藤勝榮(以下「勝榮」という。)に対し、本件不動産について昭和五五年五月一九日民法第六四六条第二項による移転を原因とする各所有権移転登記手続(右土地につき福岡法務局昭和五五年五月二一日受付第二二三二二号・右建物につき同法務局同月一九日受付第二一九二四号)をした(<証拠>)。
六正夫に対する判決確定後、被告らは、本件不動産の登記簿謄本を取り寄せて右移転登記がなされていることを発見し、原告及びその娘である鳥巣勝代に被告甲野の事務所に来てもらい、前項記載の事実を告げて、勝榮を相手に所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴訟を起こす必要があることや登記の現状を保全するため処分禁止の仮処分命令を得ることが必要であることを説明した(<証拠>)。
被告らは、右両手続についても原告から委任を受けたので、昭和五五年一〇月八日に処分禁止の仮処分命令の申請(福岡地方裁判所昭和五五年ヨ第九一二号)をする(<証拠>)とともに、原告の訴訟代理人として、勝榮を相手取り、移転登記の原因となる実体関係がないこと及び詐害行為に当たることを理由に右所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴え(福岡地方裁判所昭和五六年ワ第一二二号所有権移転登記抹消登記手続請求事件)を提起した(<証拠>)。
処分禁止の仮処分申請に対しては、昭和五五年一〇月九日不動産仮処分決定が発付され(<証拠>)、所有権移転登記抹消登記手続請求事件については、翌五六年三月二七日、原告勝訴の判決が言い渡されたが、右勝榮から控訴(福岡高等裁判所昭和五六年ネ第二四八号)の提起があったものの、昭和五七年七月二九日に控訴棄却の判決が言い渡されて、右第一審判決は、同年八月一三日に確定した(争いのない事実)。
このときも、被告らは、昭和五六年三月三〇日付で、原告に対し、「判決が出ましたので、コピーを同封致します。」と記された手紙を添えて判決の写しを送った(<証拠>)。
七昭和五八年三月三日本件不動産につき抵当権者である株式会社西日本銀行の申立により福岡地方裁判所の競売開始決定があり、これに基づき同月四日、同銀行のために同日受付第七〇六三号差押登記がなされた(<証拠>)。
八同年一〇月二六日、被告らは、正夫との話合いが一向に進まないので、勝榮に対する判決に基づき本件不動産について正夫から勝榮に対してされた所有権移転登記の抹消登記を司法書士を通じて福岡法務局に申請したが、法務局職員から登記先例(昭和三五年八月四日民事甲一九七六号民事局長回答)を示されて、右差押登記名義人の承諾のないかぎり登記申請は受け付けられないとの説明を受け、やむなく登記申請を取り下げた(<証拠>)。
そこで、被告乙野は、昭和五八年一一月、法務省民事局長に対して弁護士法二三条の二により右登記先例の維持、変更等について照会申出をしたところ、法務省民事局第三課長から昭和六一年七月一五日付で先例通りとの回答があった(<証拠>)。
九同年九月四日には、本件不動産は、後順位抵当権者である幸本永洙(以下「幸本」という。)によって金一億四四六四万円で競落され、同年八月末配当手続があったが、配当金は仮処分登記前であり正夫に対する貸金請求訴訟の提起前に設定された抵当権者のみに配当され、そのほかに余剰はなかった(争いのない事実)。
一〇その後、被告乙野は、本件建物一階の一部の入居者である株式会社サンチェーンが債権者不確知の理由で昭和六〇年八月分から昭和六一年七月分までの家賃及び共益費合計二四二万四〇〇〇円を弁済供託している事実を知り、その差押手続をとったうえ(福岡地方裁判所昭和六一年ル第二六七〇号)、供託金還付請求権確認の訴えを起こして勝訴し、右供託金を受領して原告に支払った(<証拠>)。
なお、原告は、右の供託金分を損害金七五〇万円に対する昭和六一年一二月一〇日までの民法所定年五分の割合による遅延損害金の弁済に充当したと主張している(記録上明らかな事実)。
第三争点
一(委任契約の成立範囲と委任事務の懈怠)
1〔原告の主張〕
原告が被告に対して委任した事務は、正夫に対する貸金返還請求訴訟の提起及び追行のみならず、右貸金の回収のための一切の行為である。
原告は、昭和五五年四月三〇日、被告らに対して、正夫が本件建物を有している旨告げ、本件貸金債権の回収の見込みの有無を尋ねたところ、六日間の調査期間を経た同年五月六日、被告らから回収の見込みがある旨の説明を受けたので、着手金四五万円及び成功報酬四五万円と合意のうえ、被告らに対して本件建物や家賃の差押え及びこれに必要な調査を依頼したが、被告らは直ちに差押えの手続きをとらなかった。
2〔被告らの主張〕
原告が被告らに対して委任した事務は、正夫に対する貸金返還請求訴訟の提起及び追行だけである。被告らは、本件不動産の差押え、家賃の差押え及びこれに必要な事前調査の委任を受けたことはない。
二(登記抹消手続の懈怠の有無)
1〔原告の主張〕
原告は、被告らに対して、本件貸金債権の回収を依頼するに際し、正夫が本件不動産を所有し、同人には家賃収入もあるはずである旨話したうえ、本件不動産及び家賃の差押えや、その前提となる事前調査等一切をも依頼していたので、勝榮に対する本件判決確定後遅滞なく本件不動産につき右判決に基づいて所有権移転登記抹消登記手続をし、不動産強制競売申立てや家賃の差押えをしておれば、本件貸金債権全部を回収しえたはずであるにもかかわらず、これをしなかった。
2〔被告らの主張〕
勝榮に対する判決に基づき所有権移転登記の抹消登記手続を行う際には、同時に競売申立手続をもしないと、登記上原告に優先する新たな利害関係人が発生する可能性があり、さりとて競売申立の予納金を原告に準備させ難い事情もあった。
仮に原告が予納金を準備したとしても、被告らは、勝榮に対する判決が言い渡される前に、知人の不動産業者に依頼して本件不動産の時価調査をした結果、一億円以上の値がつくことはないとの報告を受けていたのであり、しかも本件不動産には、当時第一順位として株式会社西日本銀行が極度額金一億二〇〇〇万円の根抵当権を、第二順位として福岡朝鮮信用組合が極度額金三〇〇〇万円の根抵当権を、さらに第三順位として幸本が債権額金三〇〇〇万円の抵当権をそれぞれ有しており、合計一億八〇〇〇万円の担保権が設定されていたのであるから、この時点で競売申立をしても余剰の見込みがないと判断された。
他方、被告らは、昭和五五年一〇月、原告から本件不動産に対する処分禁止の仮処分申請事件を受任して、右申請(福岡地方裁判所昭和五五年ヨ第九一二号)をし、決定を得ていたから、原状は保全されており、抹消登記手続はいつでもできるものと考えていた。
また、その頃から正夫本人や同人の代理人松尾紀男弁護士から本件不動産を任意処分したいから仮処分を取り下げてほしいが、本件貸金債権全額を支払うことができないので減額してほしい旨の和解の申込みを受け交渉していたという事情もあった。このような状況のもとで、被告らは、本件不動産の競売の申立てをしない方がよいと判断していた。
また、本件建物の家賃は、株式会社西日本銀行、福岡朝鮮信用組合及び幸本等の抵当権者に対する弁済の原資の一部となっているものと推定され、これを差し押さえれば被担保債権の延滞を惹起し、抵当権者は直ちに抵当権の実行をするものと考えられ、その結果抵当権者らが優先することとなって、結局、被告らは、原告が本件貸金債権を回収できないであろうと判断した。
仮に家賃を差し押さえていればなにがしかの回収ができたであろうと考えられる場合であっても、何を差し押さえるかについての方針の決定は、具体的な委任がある場合を除き、受任弁護士に任されているものであって、その判断が明らかに誤っている場合でないかぎり、法的責任を問われるものではない。
三(説明義務違反の有無)
1 〔原告の主張〕
仮に被告らが、本件不動産及び家賃の差押えが不可能であると判断していたのであれば、原告にその旨説明すべきであったのに、被告らはこれを怠った。右説明があれば、原告は他の回収手段を講ずることもできたのである。
2〔被告の主張〕
被告らは、事件の経過をその都度原告に報告してきた。また、原告も、度々被告乙野の事務所に来ていたので、右経過を知っていたはずである。
第四争点に対する判断
一争点一(委任契約の成立範囲)について
<証拠>は、委任契約の成立の経緯に関して、以下のとおり供述する。すなわち、原告は、本件貸金債権の回収を図るため、昭和五五年四月三〇日、長女である鳥巣とともに福岡銀行本店の法律相談室に行き、被告乙野に会って右貸金の回収について相談したところ、その足で被告甲野の事務所に案内され、再度被告らに貸金の回収について相談した。その際、原告は、被告らの質問に答え、正夫は本件建物を所有していることを告げるとともに、右建物を建てるのに株式会社西日本銀行から多額の融資を受けているらしいが、回収の見込みがあるかを尋ね、見込みがあるのならば回収を依頼する旨述べたのに対し、被告らが、調査してみるということであったので、後日また被告らのところを尋ねることになった。同年五月六日、原告は、再度同被告方に行ったところ、被告らは、本件建物の登記簿謄本を入手しており、それを見ながら抵当権が多く付いているが本件建物及び家賃を差し押さえれば回収の見込みがあるという説明をしたので、被告らに対し、報酬につき金九〇万円(着手金四五万円、貸金の回収時に金四五万円支払う。)と合意のうえ、本件建物の家賃の差押えを含め貸金の回収の一切を委任した。
同趣旨のことは、原告本人の陳述書<証拠>にも記載されている。
ところで、一般には、訴訟と強制執行の区別も知らない者も少なくなく、その訴訟に勝訴するか否かよりも現実に貸金が回収できるかどうかが一番の関心事であるから、貸金の回収について弁護士に相談に行き貸金返還請求訴訟を依頼した者が弁護士に対し貸金の回収に向けて種々の手段を講じてくれることを期待していることが多いと考えられる。一方、依頼を受けた弁護士は、回収の可能性が全くないのに訴訟の提起、追行を受任するということは、税務上あるいは会計処理上の理由等の特段の事情のないかぎり考えられず、ある程度の回収の可能性を前提にして事件を受任した以上は、法律業務の専門家として、訴訟業務以外に強制執行等の現実の回収を図る方策を依頼者に説明し、依頼者の負担となる費用や報酬の額、貸金の回収の可能性の程度、その手段を採ることの難易等の情報を提供して、依頼者が回収に向けていかなる手段を具体的に講じるかを決めるためのアドバイスをすべき義務があるものと解するのが相当である。
しかしながら、弁護士に訴訟を委任したことによって依頼者との関係では当然には保全処分や強制執行までも委任したものと解することはできない。なるほど、民訴法上は、訴訟代理権を有する代理人は保全処分や強制執行についても当然に代理権を有するが(同法八一条一項)、右は訴訟法上の権限を定めたに過ぎず、依頼者との関係では、各手続ごとに費用を要し、報酬も訴訟と別に受けることができるとされているので、原則として個別の委任を要するものと解するのが相当である。
そこで、本件について具体的に検討するに、まず、原告の主張するように、昭和五五年五月六日の訴訟の委任当時においてすでに原告が被告らに対して本件貸金債権の回収を図るべく、本件建物の家賃の差押えを依頼していたという事実は、認めがたい。右の時点では、本件建物の賃借人の特定ができてもいなかった(<証拠>)し、そもそも直ちに家賃を差し押さえるには債務名義がまず必要であり、まずは正夫に対する訴えを提起して勝訴判決を得ることが必要だからである。
<証拠>によっても、右訴訟をする意味があるかどうか、すなわち、本件貸金債権の回収ができるかどうかの点に関して、原告が正夫に対して採りうる手段の中の一つとして家賃の差押えが例示されたというのであるが、それ以上に具体的に貸金請求訴訟において原告が勝訴したときには必ず右家賃の差押えをするという合意まであったとは認められないといわざるをえない。その後に債権の回収のためにいかなる手段を講じるかは、その時の相手の状況、依頼者に負担させることになる費用や報酬の額、貸金の回収の可能性の程度、その手段を採ることの難易等諸般の事情を総合考慮して、依頼者と相談のうえ決まることであるからである。
また、被告乙野は、勝榮に対する控訴審判決があった翌日に、本件建物の家賃を差し押えられないかと考えて本件建物の賃借状況を事務員に調査させたが、その結果は、一四室ある貸室のうち五室が明らかに空室で二室が入居者不明というものであり、このため、家賃からの回収はたいして望めないと判断したことが認められる(<証拠>)。この判断にも責められるべき点は認められない。もっとも、実際は株式会社サンチェーンが一階の一部の店舗部分の家賃として一か月約二〇万円の支払を続けていたものと確認されるが(<証拠>)、被告乙野が右賃借人の本社所在地や一か月の家賃額を容易に知りえたと認めるに足りる証拠はないので、右調査の時点で家賃の差押えを原告に勧めなかったとしても、被告乙野に過失があるとは認められない。
次に、被告乙野は、本件の解決の見通しとして、貸金請求訴訟の提起の時点では、正夫の資産として本件不動産があり、かなりの額の資産であるから、原告の債権が右不動産の価値と比べれば金七五〇万円と少額であることを考慮して、右訴訟を提起することで、正夫も解決のレールに乗ってくるだろうと考え、本件不動産あるいは本件建物の家賃を仮差押えする必要まではないと判断していた(<証拠>)ので、右仮差押えをすることの合意があったということも認めることはできない。
また、勝榮に対する判決確定後においても、具体的に被告乙野と原告との間で競売予納金等について話合いをした形跡がないので、右時点でも被告らに対し原告が本件不動産の強制競売を委任していたとはみとめられず、これに反する(<証拠>)は採用できない。そして、後述のとおり、右判決確定日頃は、本件不動産の差押えをしても回収が困難であることが判明していたから、右時点で被告らが原告に本件不動産を直ちに差し押えるよう勧告しなかったことが、弁護士としての業務上の義務を怠ったものということはできない。
二争点二(登記抹消手続の懈怠の有無)について
被告乙野は、勝榮に対する判決が確定した際、直ちに同判決により所有権移転登記の抹消登記手続を行うべきか否かを検討したが、抹消登記手続をする際にはその後直ちに競売申立て手続をしないと、再び第三者へ登記名義を移されたり、架空の抵当権設定登記手続などをされるおそれがあると考えられるが、そうはいっても原告に金銭的な余裕があるわけでもなく、むしろ前記仮処分申請の際の供託金も鳥巣に立て替えてもらっている状態であったから、多額の競売申立ての予納金を原告に準備させて直ちに本件不動産の強制競売を申し立てることに躊躇した(<証拠>)。また、仮に原告が予納金を準備したとしても、被告乙野は、前記第二審の判決を前に知人の不動産業者に依頼して本件不動産の時価を調査した結果、当時の見込みと異なり一億円以上では売却できないとの報告を受けていた(<証拠>)のであり、しかも本件不動産には、当時登記簿上は第一順位として株式会社西日本銀行が極度額金一億二〇〇〇万円の根抵当権を、第二順位として福岡朝鮮信用組合が極度額三〇〇〇万円の根抵当権を、さらに第三順位として幸本が債権額金三〇〇〇万円の抵当権をそれぞれ有しており、右極度額及び債権額を合計すると一億八〇〇〇万円となり、この時点で強制競売の申立てをしても余剰の見込みがないと判断されて競売手続を取り消されるおそれ(民執法六三条)があった(<証拠>)。
他方、被告らは、昭和五五年一〇月、原告から本件不動産に対する処分禁止の仮処分命令申請事件を受任して、右申請(福岡地方裁判所昭和五五年ヨ第九一二号)をし、決定を得てその旨の登記を了していたから、仮処分の当事者恒定効により、後に第三者が権利の登記を経由しても、仮処分債権者である原告が判決に基づいて勝榮の所有権移転登記の抹消登記を申請するのと同時に、仮処分に抵触する第三者の登記の抹消を申請することができるから、抹消登記手続はいつでもできるものと考えていた(<証拠>)。また、その頃から、正夫本人や同人の代理人松尾紀男弁護士から、債権を一部免除してくれれば本件不動産を任意処分して仮処分の取下げと引換えに原告に対する債務を支払うとの和解の申込みがあったので交渉を続けていた(<証拠>)。
被告らは、このような当時の状況のもとでは、直ちに本件不動産の競売の申立てをせず、したがって、抹消登記の申請を留保しておいた方がよいと判断したというのであり(<証拠>)、右判断は法律専門家としての弁護士の知識・経験に基づく合理的なものということができるので、被告らが直ちに抹消登記の申請をしなかったことが、委任契約上の債務不履行に当たるとはいえない。
もっとも、抵当権設定登記後になされた所有権移転登記を抹消するについて、当該所有権移転後になされた任意競売申立登記(旧競売法によるもの)の登記名義人は、登記上利害関係を有する第三者に該当するものと解すべきであるとする登記先例(昭和三五年八月四日民事甲一九七六号民事局長回答)があり、仮処分登記後に正夫の抵当権者のための差押登記がなされたために判決により抹消登記手続をすることが事実上不可能になったことは前述のとおりであるが、右登記先例により、実務上処分禁止の仮処分登記の当事者恒定効が制限されているという事実は、当時の一般的な知識経験を有する弁護士に広く認識されていたとはいえず(右先例も仮処分との関係に直接言及したものではない)、却って、仮処分登記によって抹消登記手続請求権が保全され、その後になされた登記によって判決による移転登記の抹消が不可能になることがあるとは一般には認識されていなかったものと考えられる。また、法的解釈においても、抵当権設定登記後になされた所有権移転登記を抹消するについて、当該所有権移転登記後になされた抵当権の実行による差押えの登記は右抹消登記と両立しえないものではなく、所有権移転登記の抹消登記をするに際して当然抹消しなければならないものではないから、右差押登記の申立人は抹消登記の利害関係人には当たらないと解する見解も充分に成り立ちうるのであって、仮処分の当事者恒定効が任意競売の申立てによっても妨げられないと理解していたことが、法的知識の明白な誤りであるとはいえない(なお、被告乙野のした法務省民事局長に対する照会(<証拠>)では、事実経過として、仮処分登記後判決確定前に差押登記がなされた旨を記載しており、右の点は本件の事実経過と相違するが、差押登記が判決確定の前か後かによって法務省民事局第三課長の回答が変わっていたとは法理論上考えられない。)。
また、本件不動産の競落による配当の結果は、原告に優先する正夫の抵当権者にのみ配当があり、余剰はなかったので、仮に原告が配当要求あるいは自ら差押えをしても原告は配当を受けることができなかったものと認められるので、判決に基づき抹消登記手続を直ちにしなかったことと、原告が本件不動産の競落代金から債権の満足を得られなかったこととの間には因果関係があるとは認められない。また、原告は、配当要求ができなかったために抵当権者の幸本の配当額について配当異議の申出をする機会を失ったと主張するが、幸本に対する配当額が誤りであることを窺わせる証拠はなく、単に配当異議の申出の機会がなかったことのみで原告に財産上の損害が生じたと認めることはできない。
三争点三(説明義務違反の有無)について
被告乙野は、勝榮に対する控訴審判決が言い渡された後、判決書の写しを同封して経過報告の件と題する書面を原告に郵送して、判決が出たことの報告をしている(<証拠>)ものの、被告らは、原告とその後の方針について相談することはなかった(<証拠>)ので、原告の主張するように本件不動産や借賃を差押えない理由を少なくとも原告に分るように説明していないと推認されるところであるが、仮に被告らが原告に右理由を説明していたとしても、前記認定事実の下では、原告が直ちに有効な回収策を採り原告の有する本件貸金債権を回収できたかどうかは極めて疑問であり、回収ができたことを認めるに足りる証拠がない以上、原告の請求を根拠づけることはできない。
第五結論
以上のとおりであるから、原告の請求は理由がなく、棄却を免れない。
(裁判長裁判官富田郁郎 裁判官大島隆明 裁判官片山憲一)
別紙<省略>